SAKURA PRESS

「コラム」絵具チューブの歴史

2019.10.10

特集

今日のように油絵具や水彩絵具がチューブ入りとなる以前は、どのようであったか、それ自体にもさまざまな変遷がありました。

絵具がチューブ入りになったのは、絵具を商品として市販する必然から生じた結果でした。その昔、絵画が職人たちの工房で共同作業によって制作されていた中世やルネッサンス時代、絵具は画家自身かあるいは修業中の弟子たちがその都度、必要量の顔料を砕いて油で練るという手作りの作業で作られていました。(図1)工房での絵具づくりは修業の第一歩で、十代前半の弟子になりたての少年たちの仕事でした。十八世紀中頃になると、絵描きだけでは生活ができない“売れない絵描き”の一部が転業して、絵具作りを専業とする者が現れてきました。

図1

豚の膀胱

十八世紀末には、売れない画家や実力不足で画家組合に加入できなかった者たちが集まり、絵具製造を専業とする絵具屋を創業しました。そこでは練り上げた絵具を豚の膀胱などの皮袋に入れて売っていました。(図2)

豚の膀胱袋は、絵具屋が出現する以前から、画家自身がアトリエで作った絵具を保存するための容器として用いていました。このことは、十七世紀オランダの画家フェルメールの周辺を描いた本の中にも見いだすことができます。

《肉屋で豚の膀胱を入手してくるようにと、旦那様から仰せつかりました。何故そのようなものをご所望されるのか、わたしがアトリエの掃除を終えた後に、旦那様が毎朝その日に使われる絵具を並べるまで、わたしには解りませんでした。旦那様はイーゼルの傍にある戸棚の引き出しを開けられ、そこに仕舞われていた絵具を取り出されて、ひとつひとつの色の名前を言いながら見せてくださいました。初めて耳にする言葉ばかりで−ウルトラマリン、ヴァーミリオン、マシコット。ブラウンや黄土といった色、ボーン・ブラックや鉛白は小さな陶製の壷に入れ、その上から乾燥を防ぐために羊皮紙でくるみます。高価な色−青、赤、黄−は小分けにして豚の膀胱に保存します。そこから絵具を絞り出すときには鋲で袋に穴をあけ、栓をする時にはその鋲を穴に挿します。》という一節が、Tracy Chevalier 著の " GIRL WITH A PEALEARRING"(Harper Collins Publishers,London, 1999)に描写されています。
この本はフィクションですが、当時の市民生活の様子やオランダ文化、綿密なフェルメール研究をふまえた実史に基づく歴史小説の要素が多く含まれています。最近この邦訳本が発刊されました。トレイシー・シュバリエ著『真珠の耳飾りの少女』(白水社、2000年6月) です。

図2

真鍮のシリンジ

膀胱袋入りの油絵具は十九世紀始め頃まで存在し続け、最初の金属性チューブが登場するようになっても、まだしばらくは膀胱袋の使用は続いていました。

最初の金属性の絵具チューブは、1828年にジェームス・ハリスが考案しました。それは注射器のかたちをした“ピストン式”の真鍮しんちゅう製のシリンジでした。(図3)
絵具を使いきると、空になったシリンジを絵具屋に持っていって絵具を充填してもらうという、いわゆる量り売りの方法でした。

図3

ガラスのシリンジ

真鍮製のシリンジは油絵具用として用いられていたようで、1840年ウィリアム・ウィンザーはガラス製のシリンジに水彩絵具を入れて売りました。(図4)

図4

錫のチューブ

新しい発明だったシリンジにも難点がありました。それは、空のシリンジに絵具を充填する際に、シリンジの中をきれいに洗わなければならないことでした。この再生利用のために洗う手間は結構たいへんだったので、使い捨てチューブの発想が生まれてきます。

使い捨てチューブの素材には、真鍮以外の金属として銅、錫すず、鉛の使用が考えられましたが、チューブにするための柔軟性と圧延性の条件を考慮すれば錫と鉛がより適していました。当時は錫も高価でしたが、鉛の方がより高価だったので、錫製のチューブが開発され、それは十九世紀中頃のことでした。

1841年に錫製の“押し出しチューブ”がイギリス在住のアメリカ人画家ジョン・G・ランドによって発明されました。(図5)
翌年の1842年には、先端にねじ式キャップがついたチューブに改良されました。(図6)

この頃、すでにアルミニウムも考えられたようですが、当時のアルミニウムは大変高価だったので実用化されませんでした。

図5
図6

アルミニウムのチューブ

アルミニウムの生産に画期的な方法が考案されてコストの下がった1930年代、アルミニウム製チューブが登場しました。しかし、アルミニウムは絵具によっては腐食されるという致命的な欠陥が生じました。さらに、当時は主に日本とドイツで、軍用飛行機の生産にアルミニウムが必要となってきたため、絵具用に使用することができなくなりました。

錫張り鉛チューブ

1940年代になると、チューブに鉛を使用することが考えられました。しかし、素材が鉛だけでは弱く、角ばったものが軽く当たっただけでチューブが破れたり、腐食の改良のために、強度を上げた錫張り鉛チューブが発明されました。

アルミニウムのチューブ

近年のように商品への安全性がより重要視される時代になると、鉛の人体への毒性や自然環境への悪影響が問われ、欧米を先駆けとして、日本では1990年代から錫張り鉛チューブは使用されなくなっていきました。

錫張り鉛チューブの代わりとなったのが、アルミニウム製のチューブです。アルミニウムが絵具に腐食されるという致命的な欠陥は、内部の表面をエポキシ樹脂などの合成樹脂でコーティングすることで解消しました。(図7)

図7

ポリチューブ・ラミネートチューブ

サクラクレパスでは1995年から、水彩絵具も錫張り鉛チューブからポリエチレン樹脂を使用したポリチューブに代えました。(図8)

さらに、ポリチューブは絵具を押し出した後にチューブ内部にわずかな空気が混入するため、ラミネートチューブが同年のうちに開発されました。ポスターカラー、アクリル絵具のチューブに使用されていますが、水彩絵具にもポリチューブとともに使われています。ラミネートチューブは、アルミニウムをサンドイッチするように合成樹脂で多重にコーティングしたチューブです。(図9)

図8
図9

文責サクラアートミュージアム 主任学芸員 清水靖子(サクラクレパス)

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